「井上一至 幻想レアリスム」展
10/5/13(Thu)〜10/5/18(Tue)
迷宮の奥底にひそむ幻想
井上一至が、ここ十年間に試みてきた作品は多彩で華やかだ。
モチーフも豊かに色彩きらめく数百点のガラス絵。貝殻の内側に女性像や動物を精緻に描いた、シェルアートと称する千点をこえる連作。さらには水彩画や墨絵等々、絶え間なく紡ぎだされる万華鏡のような世界が鑑賞者の目を楽しませてきた。
今回の個展で発表される油彩画は、冒頭に上げた仕事の連鎖を断ち切り、後戻りしない決意で描き上げたと井上は言う。
二十代の頃より井上は、ウィーン幻想派などの「異端の絵画」の系譜に傾倒。独学で鍛えた油彩のメチエを駆使してエネルギッシュに制作を続け、県展、市展、グループ展で意欲的に発表、個展も数回開いている。特異な表現が注目されていたが、二〇〇一年の個展以降、油彩画は封印される。
そして十年の時を経て、油彩の仕事が再開された。五十歳代半ばを迎えた井上の心を熱く燃え上がらせたものは何なのか。その答えは、新たに描かれた油彩作品が黙示しているように思われる。
二十点余の発表作品(三十〜五十号)は、すべて今年に入ってから夜を日に次いで制作された。
油絵の具自体が持っている表現性と作者の感性が結び合い、同時に葛藤もはらみながらの描画によって、迷宮の奥底にひそんでいる数々の神話的形象が、強烈な存在感を発して出現する。
「採卵人」と題された作品がある。顔の見えない何者かの手が、切り裂かれた大魚の腹部から溢れ出る卵の中に突っ込まれている。ただそれだけで他に何もない。不気味でおぞましい光景だが、どこかで見たような気がする。テレビなどでお馴染みの鮭の採卵風景…。食欲をそそるイクラを思い浮かべつつ一瞬かすかに心に走った痛みや罪悪感を、この絵は増幅させる。
生々しい獣身を横たえるスフィンクスに化身した女や、ユニコーン(一角獣)に寄りそう女、バラの花に囲まれた魅惑的なイヴは、井上の永遠の主題と言えそうだが、彼女たちはいずれもこちらを見つめ、謎かけを続け、感情移入を拒否する。
今回の連作の終章として、地球を脱出していく方舟が描かれているが、夢の深淵から生まれる「幻想」には文明批評の視線さえも感じられる。
「今のぼくには安直なファンタジーによる癒やしは無用です」と画家は言い切る。確実に新たな仕事への扉が開かれたことを実感する。
(フナイタケヒコ 鳥取市在住・美術作家)
2010年(平成22年)5月12日(水曜日) 日本海新聞掲載記事より
迷宮の奥底にひそむ幻想
井上一至が、ここ十年間に試みてきた作品は多彩で華やかだ。
モチーフも豊かに色彩きらめく数百点のガラス絵。貝殻の内側に女性像や動物を精緻に描いた、シェルアートと称する千点をこえる連作。さらには水彩画や墨絵等々、絶え間なく紡ぎだされる万華鏡のような世界が鑑賞者の目を楽しませてきた。
今回の個展で発表される油彩画は、冒頭に上げた仕事の連鎖を断ち切り、後戻りしない決意で描き上げたと井上は言う。
二十代の頃より井上は、ウィーン幻想派などの「異端の絵画」の系譜に傾倒。独学で鍛えた油彩のメチエを駆使してエネルギッシュに制作を続け、県展、市展、グループ展で意欲的に発表、個展も数回開いている。特異な表現が注目されていたが、二〇〇一年の個展以降、油彩画は封印される。
そして十年の時を経て、油彩の仕事が再開された。五十歳代半ばを迎えた井上の心を熱く燃え上がらせたものは何なのか。その答えは、新たに描かれた油彩作品が黙示しているように思われる。
二十点余の発表作品(三十〜五十号)は、すべて今年に入ってから夜を日に次いで制作された。
油絵の具自体が持っている表現性と作者の感性が結び合い、同時に葛藤もはらみながらの描画によって、迷宮の奥底にひそんでいる数々の神話的形象が、強烈な存在感を発して出現する。
「採卵人」と題された作品がある。顔の見えない何者かの手が、切り裂かれた大魚の腹部から溢れ出る卵の中に突っ込まれている。ただそれだけで他に何もない。不気味でおぞましい光景だが、どこかで見たような気がする。テレビなどでお馴染みの鮭の採卵風景…。食欲をそそるイクラを思い浮かべつつ一瞬かすかに心に走った痛みや罪悪感を、この絵は増幅させる。
生々しい獣身を横たえるスフィンクスに化身した女や、ユニコーン(一角獣)に寄りそう女、バラの花に囲まれた魅惑的なイヴは、井上の永遠の主題と言えそうだが、彼女たちはいずれもこちらを見つめ、謎かけを続け、感情移入を拒否する。
今回の連作の終章として、地球を脱出していく方舟が描かれているが、夢の深淵から生まれる「幻想」には文明批評の視線さえも感じられる。
「今のぼくには安直なファンタジーによる癒やしは無用です」と画家は言い切る。確実に新たな仕事への扉が開かれたことを実感する。
(フナイタケヒコ 鳥取市在住・美術作家)
2010年(平成22年)5月12日(水曜日) 日本海新聞掲載記事より